はぁ〜!
あっという間の90分♪
先生たちと、あんな話こんな話(笑)
みんなにも理解していただきたいこと。
あの震災のあと、先生が指示した避難場所とか、先生のとった行動、たびたび先生が的になることがあったね。
これらの件で、被災地でたくさんの真実の話を聞いてきました。
震災直後に学校は避難所になり、先生は夜も寝ずに避難してきた人々のお世話をしました。
次の日も、その次の日も、1週間以上していた先生もいました。
家族の安否の確認もできないまま、です。
多くの被災者は、自分の町がどうなっているのかも知りませんでした。情報が全くなく、そこから身動きもできなかったから。
それでも、だんだん避難所間を行き来する人が出始め、どこの避難所に誰がいたよ!とか、互いに目撃情報を口頭で交換し、徐々に安否確認が始まりましたが、先生は必ずしも学校の近くに住まいがあるとは限らない、家族の情報が全くなかったのです。
それでも、とにかくひと段落つくまで地域の人につくした。その間に、先生である親と再会することもできず、ただただ心配にかられながら時が過ぎて行った、どれだけ多くの先生の子どもたちが、精神的に苦しみ、治療の必要な身となったことか。
時として、先生たちは家族を犠牲にしてまでも仕事を果たさなければなりません。自衛隊や警察、消防の方々だけじゃない、先生もそうなのです。
全力を尽くしてその結果について、誰のことをせめても何もかわらない、わかっていてもどうにもならない気持ちをつい他人に・・・先生に・・・。
こうならないためにも、もっと備えなきゃ!!!備えを人任せにせずに、みんなが参加して確認して、その時、みんなが助かればこんな悲しいやり取りだってないさ☆
後悔しないためにも、今、おさまりつつある防災の勢いをもう一度再燃させたいです。ここまでの防災状況で、みんなの町はみんな助かるかい?ここで収束したら、次の大災害がくるまでこのままいくのです。あの震災のときに生きていた私たちが後々の知らない世代のためにもできる最大限の防災を残さないといけないのです。
学校
にちなんで言えば、高知県は国道より海側にたくさんの学校があります。
もしも、国道をわたっての避難も考えているならば、道路を横断するなんてのんきなことはできないと、言い切りましょう。
みんな、国道を命からがら車で逃げるのです。車から降りて逃げよう!と呼びかけても結局車で逃げるから、と、被災者は言います。横断する子供を長い間待てますか?その様子を子供たちは目にし、トラウマになったりして、後々までひきずるでしょう。そんな子供が被災地にたくさんいるからいうのです。
歩道橋か地下道を確保してほしい。全く別々に逃げなきゃ間に合わないのです。
想定外のレベルで準備して、必ず助かってほしい。
2年たって、防災の足があからさまに止まりかけているな、という感じを持っていました。
たった1日の悪夢、津波を乗り越え、翌日からは復興作業が始まるのです。準備万端ですか?
大事なわが子を預かる学校の先生たちと一緒に、わが子を守るために最善の策を練っていますか?
忘れたころにやってくるのです。
忘れないことです!!!
先生とその家族の幸せを願ってやみません☆